石田三成の命日[1](滋賀県長浜市石田町)
以前の記事で紹介した長浜市石田町。
今日は石田三成公の四百十一回忌の法要が彼の故郷・石田町の石田会館で行われるので現地に向かった。
午前10時頃、「財団法人石田三成公事蹟顕彰会」の結成70周年記念式典が行われる。
同会五代目会長・木下茂昭氏のあいさつ。
同氏の挨拶の中で、現地での石田三成の検証が行われたのは坂田郡志での中川泉三先生の研究がきっかけだったこと。
今の石田会館前にある顕彰碑は、当時(1940年4月~41年12月)の滋賀県知事だった近藤譲太郎氏が、当時の区長や校長に坂田郡全戸から一件ずつ浄財を集めて建てるよう進言したことなどが語られた。
また、同会の初代会長の功績や苦労を述べながら、三成公に真に敬愛の心を持つ人のみに焦点を当て続けたという同会のこれまでの活動を振り返った。
(石田三成公銅像※同年8月に撮影したものです)
私の故郷にもそれなりに歴史に名を遺した人はいないでもない。
しかし石田三成という日本史にその名を遺した故郷の偉人が、天下に仇を為したと言われ続けた故郷の人々の心中は、歴史と馴染みの薄い我々には理解出来ない深いものがあるだろう。
70年という時間を経て、石田三成は今や日本史や戦国時代(※安土桃山~江戸?)を取り扱った作品では欠かせない人物となった。
それは戦後の日本史研究による石田三成研究も然ることながら、同会の故郷の偉人への畏敬の念と、絶えない親愛があったからだと思えてならない。
雨中の三成公四百十一回忌、彼が現世の人々にどれだけ慕われているかは写真を以ってお察し頂きたい。
この石田会館にいたのは三成公を慕う人や、地域の住民の方々の姿が入り混じっていた。
決して派手な式典ではなかったけれど、この場は暖かさや懐かしさを覚えるようなものがあった。
町の人たちが、心から石田三成という人を敬愛している。そこに歴史というものの本当の魅力や力を感じた。
またこの日は、同会結成70周年を記念した石田三成への鎮魂歌の石碑と曲が披露された。
写真撮影は出来なかったが、法要の場を締める際にも同曲が流されていた。
続きはまた後ほど。
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