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Posted by 滋賀咲くブログ at

石田三成の命日[2](滋賀県長浜市石田町)

2011年12月08日


石田会館では三成の法要が行われていた。が、撮影は自重した。
三成顕彰会作成の関ヶ原・佐和山城戦の屏風や顕彰会設立時に書かれた三成来歴の衝立が飾られていた。


また地元自治会による武者行列が行われていた。
賤ヶ岳の七本槍や、関ヶ原の合戦など石田三成に関する武将たちがメインであった。



石田一族供養塔は以前記事に書いたが、この日は多くの参列者が訪れていた。
ここには有名な残紅葉の句碑がある。だが、今年はついぞ紅葉は間に合わなかった―

(続く)



Posted by 八木本宗平 at 00:00 Comments( 0 ) 石田三成

錦秋の玄宮園ライトアップ

2011年12月07日


Posted by 八木本宗平 at 20:13 Comments( 0 ) 庭園

石田三成の命日[1](滋賀県長浜市石田町)

2011年11月06日


以前の記事で紹介した長浜市石田町。
今日は石田三成公の四百十一回忌の法要が彼の故郷・石田町の石田会館で行われるので現地に向かった。

午前10時頃、「財団法人石田三成公事蹟顕彰会」の結成70周年記念式典が行われる。



同会五代目会長・木下茂昭氏のあいさつ。
同氏の挨拶の中で、現地での石田三成の検証が行われたのは坂田郡志での中川泉三先生の研究がきっかけだったこと。
今の石田会館前にある顕彰碑は、当時(1940年4月~41年12月)の滋賀県知事だった近藤譲太郎氏が、当時の区長や校長に坂田郡全戸から一件ずつ浄財を集めて建てるよう進言したことなどが語られた。
また、同会の初代会長の功績や苦労を述べながら、三成公に真に敬愛の心を持つ人のみに焦点を当て続けたという同会のこれまでの活動を振り返った。


(石田三成公銅像※同年8月に撮影したものです)

私の故郷にもそれなりに歴史に名を遺した人はいないでもない。
しかし石田三成という日本史にその名を遺した故郷の偉人が、天下に仇を為したと言われ続けた故郷の人々の心中は、歴史と馴染みの薄い我々には理解出来ない深いものがあるだろう。

70年という時間を経て、石田三成は今や日本史や戦国時代(※安土桃山~江戸?)を取り扱った作品では欠かせない人物となった。
それは戦後の日本史研究による石田三成研究も然ることながら、同会の故郷の偉人への畏敬の念と、絶えない親愛があったからだと思えてならない。



雨中の三成公四百十一回忌、彼が現世の人々にどれだけ慕われているかは写真を以ってお察し頂きたい。
この石田会館にいたのは三成公を慕う人や、地域の住民の方々の姿が入り混じっていた。



決して派手な式典ではなかったけれど、この場は暖かさや懐かしさを覚えるようなものがあった。
町の人たちが、心から石田三成という人を敬愛している。そこに歴史というものの本当の魅力や力を感じた。


またこの日は、同会結成70周年を記念した石田三成への鎮魂歌の石碑と曲が披露された。
写真撮影は出来なかったが、法要の場を締める際にも同曲が流されていた。

続きはまた後ほど。



Posted by 八木本宗平 at 20:45 Comments( 0 ) 石田三成

井伊の赤備え[6](彦根市金亀町・彦根城博物館)

2011年11月04日

彦根城博物館テーマ展 シリーズ 戦国 巻の4 「井伊の赤備え-朱と金の勇姿-」(リンク先:彦根城博物館当該Webページ)
既に展示自体は終了しましたが、手持ちの写真からテーマ展の様子をお伝えしようと思います。

今回は井伊家に歴代廃藩まで馬医として仕えた古沢六右衛門(ふるさわろくえもん)家に伝わる甲冑。


朱漆塗紺糸威五枚胴具足(しゅうるしぬりこんいとおどしごまいどうぐそく)

五枚胴というと伊達政宗の甲冑(仙台胴・雪の下胴)でお馴染みだが、江戸時代中期になる頃には全国各地の大名・武将が所有する例が多く見られる。


伊達政宗の五枚胴は鉄板を一枚一枚鍛えたものだが。この五枚胴は縦剥胴(たてはぎどう)という、鉄の板を矧ぎ合わせて胴を形成している。よく見ると道にボーダーがあるのがお解りになると思う。
古沢家六右衛門家は代々120石取の家柄だ。現在の貨幣価値で言うと年俸600万円位と想像して欲しい。そのためか、甲冑もシンプルながらなかなか趣がある。


古沢六右衛門家は、幕末の彦根藩と時の大老・井伊直弼を支えた重臣、宇津木六之丞を輩出した家でもある。四男坊のため実家は継げなかった六之丞だったが、直亮・直弼の二人の藩主を補佐し幕末の世を奔走した。
六之丞に関しては改めて記事を書く予定だが、もし彼の兄達が家督を継げなかった時、この甲冑を彼が纏ったのだろうかと思うと感慨深い。後に六之丞が所蔵した甲冑の簡素な中の威厳もここから来ているのだろうか。



Posted by 八木本宗平 at 23:29 Comments( 0 ) 井伊の赤備え

ヴォーリズさんの足跡を辿る5.(豊郷小学校旧校舎群その2)

2011年10月31日