井伊の赤備え[4](彦根市金亀町・彦根城博物館)

2011年09月25日

彦根城博物館テーマ展 シリーズ 戦国 巻の4 「井伊の赤備え-朱と金の勇姿-」(リンク先:彦根城博物館当該Webページ)
既に展示自体は終了しましたが、手持ちの写真からテーマ展の様子をお伝えしようと思います。

井伊の赤備え[4](彦根市金亀町・彦根城博物館)
過去三回は藩主達の甲冑を取り扱いましたので、ここからは井伊家家臣団の甲冑を紹介していくことにします。

井伊の赤備え[4](彦根市金亀町・彦根城博物館)
朱漆塗紺糸威縫延胸取二枚胴具足(所用者:不明 製作時期:江戸初期)

彦根城博物館に伝わる家臣達の赤備えの中では最も古いとされる一品。所用者は伝わっていないが、部材の質感から井伊直政・井伊直孝の甲冑と同時期であると解説シートには記されていた。朱色はすっかり鮮やかさを失ってしまっているが、却ってこの甲冑の歴史を今に伝える風格を備えている。

この甲冑の見どころは以下の三点である。

一・家臣の赤備えの基本、天衝前立を備えた最初期の作である点
二・朱色の胴に紺・赤・綾の三色の威糸を用いて華美に仕立てた点
三・籠手の二の腕部分に小鰭(こびれ)を付属させた点

一は、井伊家が大大名へと移行する過程で甲冑に格式を求めた過渡期の作品として、意味を持つ事が理由である。二は、戦の道具である甲冑に、控えめながらも美しさや自己主張を求めた作風が、当時の武家社会や井伊家家臣団の様子を伝える資料として貴重な点である。

井伊の赤備え[4](彦根市金亀町・彦根城博物館)
そして三の小鰭は、徐々に実戦以外の要素を多く含み始めた甲冑でありながらも、所用者が防御の面を意識していた事にとても意味を感じるのである。甲冑は、意外と関節部分ががら空きである。日本の甲冑、特に当世具足は動きやすさと防御を兼ね備えるためそんなデザインになっている。

通常、小鰭は肩の上や首周りを守るように作られている。これを二の腕にまで垂れ下がるように大きくした理由―単純に考えれば、少しでも軽量に攻撃を防ぐためのアイディアなのだろう。

二の腕を負傷しては、刀を持つのも不可能になる。これは関ヶ原合戦・烏頭坂追撃戦で負傷した井伊家の大将・井伊直政その人が家臣達の前で皮肉にも体現している。この甲冑が直政~直孝の甲冑と同時期に製作されたとすれば、この所用者はその事実を踏まえて異形の小鰭を取り付けたのではなかろうか、などと思うのである。

江戸中期以降に製作された甲冑とは一線を画する、実戦思考を盛り込んだ甲冑であると思う次第でした。



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Posted by 八木本宗平 at 23:12 │Comments( 0 ) 井伊の赤備え
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