石田三成の故郷(1)(滋賀県長浜市石田町)
2011年08月28日
2011-08-01
石田三成といえばあなたは何を思い浮かべるだろうか?
稀代の宰相とも、亡国の奸臣とも、十人十色の意見が返ってきそうである。

そんな事を思いながら、三成の故郷・石田町へと足を伸ばす。(石田町中心への幹線道)

旧の町道を通ったので、お目当ての供養塚と石田会館の駐車場が判らず、30分ほどグルグル迷う。(バス停側の石碑)

町の中心には、有名な三献の茶のモニュメントがある。

一間ほどの細い路地を抜けると、三成屋敷跡とされる石田会館に着く。
発掘された三成の頭蓋骨から推測されたブロンズ像がそこには座っていた。

ここに石田一族が住んでいた頃、屋敷を囲むように堀があったとされる。
今も遺る小さな堀跡は、治部池と呼ばれ水を湛えている。
当時の石田家の屋敷は、先ほどの石碑や三献の茶のモニュメントのあるあたりまであったとされる。
小字から推測される総面積は一町四反歩、大体4200坪だという。
実に今の石田町の南西部が丸々屋敷ということになるが、実際は一族郎党の居住部も取り込んだものだったのだろうか?
奥の厨子のようなものは詳細は不明(この日は石田会館休館につき)
納骨堂か、宝具や書物を納めたものか、はたまた鎮魂碑か…また11月の法要に際して見に行きたい。
石田三成といえばあなたは何を思い浮かべるだろうか?
稀代の宰相とも、亡国の奸臣とも、十人十色の意見が返ってきそうである。

そんな事を思いながら、三成の故郷・石田町へと足を伸ばす。(石田町中心への幹線道)

旧の町道を通ったので、お目当ての供養塚と石田会館の駐車場が判らず、30分ほどグルグル迷う。(バス停側の石碑)

町の中心には、有名な三献の茶のモニュメントがある。

一間ほどの細い路地を抜けると、三成屋敷跡とされる石田会館に着く。
発掘された三成の頭蓋骨から推測されたブロンズ像がそこには座っていた。

ここに石田一族が住んでいた頃、屋敷を囲むように堀があったとされる。
今も遺る小さな堀跡は、治部池と呼ばれ水を湛えている。
当時の石田家の屋敷は、先ほどの石碑や三献の茶のモニュメントのあるあたりまであったとされる。
小字から推測される総面積は一町四反歩、大体4200坪だという。
実に今の石田町の南西部が丸々屋敷ということになるが、実際は一族郎党の居住部も取り込んだものだったのだろうか?
奥の厨子のようなものは詳細は不明(この日は石田会館休館につき)
納骨堂か、宝具や書物を納めたものか、はたまた鎮魂碑か…また11月の法要に際して見に行きたい。
Posted by
八木本宗平
at
21:54
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石田三成